看護師への道1 両親の入院

中学生の時 MA Station株式会社(エムエーステーション)

 患者と家族

MA中嶋みどりです。
今回は私が子どもの頃のお話です。
今の私を語る上で、このお話がないと繋がらないものですから、個人的な話ですけれど、皆さんにご紹介です。

看護師が看ている患者には当然のことながら生活があります。
そして、家族がいます。
こんな当たり前のことを意識したのは看護師になるずっと前、私が中学生の時でした。

中学2年生の時、父が大工仕事中の事故により長期入院。
ある日突然、働けなくなりました。

入院中の一時的な期間、働けないだけでなく、右手という大事な仕事道具が使えなくなり、退院後の長期リハビリ、50代からの転職を余儀なくされました。
母は、パートで生活費を稼ぎながら、病院を往復する日々が続いていました。

救急車搬送 MA Station株式会社(エムエーステーション)

そんな生活も日常に感じられるようになった中学3年生の時、今度は母が入院。
もう二十年以上も前のことなのに、入院すると聞いた時の光景は今でも頭に残っています。

「治療をしなければ、後10年でがんになる」

子どもの私には衝撃の一言でした。
慢性肝炎でインターフェロン治療のための入院でした。
中学3年生の夏休み、受験勉強、部活動の練習、そして、病院の往復と家事が私の生活に加わりました。

部活に行って、勉強をして、夕飯の買い物、夕飯を食べてから19時に自転車で病院へ。
病室で母とおしゃべりをして、洗濯物を持って面会の終わる20時に病院を出る。
そして、自転車を走らせながら泣く…これも日課。

毎年行われる市の花火大会、その年は、病室の窓から母と二人で見ました。
食欲のない母に大好きなネギトロの海苔巻きを作って持って行ったこともよく覚えています。

点滴の針が入らない MA Station株式会社(エムエーステーション)

色々な思い出がありますが、一番強烈な印象を与えた出来事。
それは、点滴の針が入らない母の両手に右と左二人がかりで針を刺している光景でした。
あの時の私はどうしていいかわからず、看護師から外で待つように言われるでもなく、しばらく呆然とし、母の「帰りなさい」の言葉で何も言えないまま、その場を去りました。

あの時の私が思ったこと。

「私も辛いのに、看護師さんに私は見えていないんだ」

進路を考える中学3年生。
時期というのも大きく影響したのでしょう。
この出来事が私の将来の仕事を決めるきっかけとなりました。
それは、決して「看護師」への憧れではなく…。

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